美の巨人たち フェルメール 「絵画芸術」を見て

2010年11月6日に放送された 美の巨人たち フェルメール 「絵画芸術」を見ました。

フェルメールの《絵画芸術(画家のアトリエ)》は単なる風俗画の枠を超え、芸術論的・政治的・歴史的含意を持った壮大な作品です。

本作の中心に描かれるのは、歴史を司る女神クリオです。

彼女は月桂冠(栄光)をかぶり、ラッパ(名声)と本(記録)を手にしています。

これらは典型的な図像学に基づくシンボルで、フェルメールが明確に「この絵は歴史を描いている」と宣言していることがわかります。

これによって、風俗画(室内の私的空間)という形式に、歴史画(公的・高尚なジャンル)の主題を封じ込めるという試みが行われています。

これは、当時の絵画ジャンルのヒエラルキーを乗り越え、芸術の本質や価値の再定義に挑む姿勢でもあります。

オブジェには、寓意がふくまれています。

ネーデルランド全体の古地図。すでに分断された地域が描かれており、当時の政治的状況(オランダ独立)を暗示しています。芸術が国のアイデンティティを形成し、記憶を記録する力を持つことを示唆しているとも読めます。

シャンデリアの双頭の鷲は、ハプスブルク家の紋章。だが、ろうそくが灯されていないことで「過去の栄光」「没落した権力」を象徴します。

石膏像は、彫刻=芸術の象徴であり、机に無造作に置かれていることで、「絵画が彫刻よりも優れている」あるいは「芸術表現における階層を解体する」という主張が感じられます。

背中を向けた画家は、しばしばフェルメール自身だと考えられています。

この構図によって、フェルメールの芸術観=絵画とは何か、歴史と芸術の関係はどうあるべきかという問いを、見る者に問いかけています。

フェルメールは、この《絵画芸術》という作品を自分の芸術的遺言とでもいうべき、非常に重みある構成で仕上げています。

彼が生涯手放さなかったという事実も、それを裏付けています。

特に印象深いのは、ジャンルの壁を超えた「芸術統合」への意思です。

風俗画という、日常の穏やかな一瞬を描く親密なジャンルの中に、歴史、神話、国家、芸術論までを詰め込む。

これはまさに「知的な野心」と「詩的な美意識」が融合したフェルメール芸術の極致ではないでしょうか。

また、光の扱いにおいても、本作では単なるリアルな自然光ではなく、芸術的・象徴的な「啓示の光」として使われており、神話的世界と現実のアトリエを優しくつなげています。

彼は、当時の評価軸(歴史画至上主義)に挑みながら、自らの得意とする風俗画の形式を通して、「絵画とは何か」「芸術とは何のためにあるのか」という問いに真正面から応えたのです。