セザンヌ 《カーテンのある静物》の魅力  テレビ番組「世界の名画 20世紀絵画の父 セザンヌ」(BS朝日)を見て。

テレビ番組「世界の名画 20世紀絵画の父 セザンヌ」は、セザンヌの作品《カーテンのある静物》の魅力を見事に解き明かしています。

「自然は球・円柱・円錐から成る」

セザンヌのこの言葉は、彼の絵画の基礎的な視座を端的に表しています。

自然界に存在する複雑な形態を、幾何学的な単純な形に分解し、その本質的な構造を把握しようとする態度です。

これはルネサンス以来の遠近法や写実主義とは異なり、「見えるもの」よりも「成り立ち」に重きを置いたアプローチです。

セザンヌは、事物の「ありのまま」を忠実に描写するのではなく、それらをどう「構造的に理解し、再構成するか」を探求したのです。

彼にとって絵画とは「見たものの模倣」ではなく「自然の構造の探求と表現」でした。

「ある皿は高い位置から」「別の皿は低い位置から」描いたことは、後のキュビスム(ピカソ、ブラックなど)につながる多視点的なアプローチです。

一つの画面に、異なる角度から見たものを組み合わせることで、単一の視点では捉えきれない立体感・存在感を表現しようとしています。

テーブルの傾斜や水指(みずさし)の傾き、果物の配置など、視覚的な「不安定さ」が存在しながら、全体ではバランスが保たれているのは、意図的な緊張と調和の演出です。

自然な見え方をわざと崩すことで、見る者の注意を「構成」そのものに向けています。

果物が右側に集まり、色彩で強調されているのは、構図の傾きを視覚的に補正するためです。

形態の不安定さに対して、色彩の安定感を対置しているわけです。

このように、セザンヌの絵は「偶然にそうなった」のではなく、「徹底的な意図」のもとに組み立てられています。

最高の視点を求めて、脚立や背の高いイーゼルまで準備する姿勢は、単なる画家の域を超えて「科学者的」あるいは「職人」としてのこだわりすら感じさせます。

セザンヌにとって静物画は、動かない被写体を相手に、幾何学的構造・色彩・空間を徹底的に研究する「実験室」のようなものでした。

私はこのセザンヌのアプローチから、「見たままを描くこと」の限界と、「物の本質を見抜くこと」の大切さを感じます。

現代人はスマホで簡単に「そのままの景色」を撮影できますが、セザンヌが目指したのは「そのまま」ではなく、「その裏側にある構造・本質」でした。

それは、外見に惑わされず、物事の成り立ちや背景を考える「知的な態度」とも言えます。

また、セザンヌが一つの静物に対しても妥協せず、脚立まで使って「最高の視点」を探したことに、創作に対する真摯な姿勢を感じました。

美しいものは偶然できるのではなく、考え抜いた末に生まれる、というメッセージとしても受け取れます。

さらに、静物という「動かないもの」に、これほどの「動的な視線」「複雑な構造」を持ち込んだことが、20世紀絵画の父と呼ばれるゆえんだと納得しました。

キュビスムや抽象絵画は、この延長線上にあります。

この番組を通して、セザンヌの静物画は、単なる「果物と器の絵」ではなく、世界をどう見つめ、どう再構成するかという、深い哲学の表れだと改めて気付かされました。