ジャック・ルイ・ダヴィット 作 《皇帝 ナポレオン1世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠》の魅力
2017年1月14日に放送された美の巨人 ジャック・ルイ・ダヴィット 作 《皇帝 ナポレオン1世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠》を見ました。
ジャック=ルイ・ダヴィッドによる《皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠》は、単なる歴史画以上の意味を持つ、政治的メッセージと心理的ドラマが重層的に織り込まれた傑作です。

この絵の構図は非常に計算されており、約200人の参列者たちの視線がすべてナポレオンの動作――王冠を掲げる瞬間――へと集まっています。
これはナポレオンを「時代の中心」「栄光の頂点に立つ存在」として表現するための視線誘導の手法であり、観る者に彼の偉業を疑いようもないものとして印象づける戦略です。
通常の戴冠式では、王や皇帝は聖職者から冠を授けられます。それは「神に選ばれた支配者」であることの象徴です。
しかしナポレオンはこの儀式で教皇ピウス7世の手から王冠を奪い、自らの手で頭に載せました。
絵ではこの瞬間を描くのではなく、ナポレオンがジョゼフィーヌに冠を授けるシーンが選ばれました。
これは、宗教的対立を和らげつつ、自身の「創造主」「秩序を司る者」としてのイメージを強調するためと考えられます。
実際には出席していなかったナポレオンの母や兄も、画面内には堂々と描かれています。
またジョゼフィーヌも、実際の年齢より若く、優雅に描写されており、これは大衆に向けた理想化された皇帝一家のイメージ戦略です。
衣装や装飾品もすべて実物から写された忠実な描写である一方で、人物配置や表情、姿勢などは「演出」に満ちており、まさに政治のためのアートです。
この絵には実は異なる視線をもった2人が描かれています。一人はローマ教皇ピウス7世。
手は祝福のポーズをしていますが、表情は沈んでおり、心から祝っているとは言いがたい。
もう一人はタレーラン(外務大臣)、彼もまた冷めた視線で式を眺めています。
これらはダヴィッドが仕込んだ「警告」であり、絶頂の中にすでに兆しを見せ始めていたナポレオンの孤立や過信を、視覚的に伝えているのです。

ナポレオンはこの絵を通して「全フランスが彼を祝福している」印象を国民に与えようとしました。
ダヴィッドはその意図に応じつつも、作品に「虚構性の気配」「忠誠の不在」を忍ばせました。
ナポレオンは、この絵の警告に気がつかず、ついに自らを神に選ばれた存在と錯覚するようになります。
そしてこの過信こそが没落の始まりとなっていくのです。絵はその「栄光と転落」の分水嶺を冷静に刻印しています。
ジャック=ルイ・ダヴィッドは、皇帝の公式画家としての職務を超えて、権力の危うさを美術で可視化した芸術家でした。
彼の筆はただの称賛ではなく、歴史を読む者への「冷静な目線」を与えてくれます。