新美の巨人たち マネ最晩年の傑作『フォリー=ベルジェールのバー』を見て
2019年10月12日に放送された 新美の巨人たち マネ最晩年の傑作『フォリー=ベルジェールのバー』を見ました。

エドゥアール・マネの《フォリー=ベルジェールのバー》(1882年)は、表面的な華やかさの奥に潜む複雑な人間ドラマと、近代社会の二重構造を描いた作品です。
中央の女性シュゾンの視線は、見る者にまっすぐ向けられていますが、何かを訴えかけるというより「空(うつ)ろ」です。
これは、単なる無表情ではなく、自己と社会の間に横たわる「断絶」を象徴しているとも言えます。
AI解析によると「自然」な表情が90%以上だが、無表情の中に一瞬喜びや驚きも微かに検出されたという点は重要です。
動かない絵のはずなのに、AIは表情の変化をとらえたそうです。彼女は何も感じていないのではなく、「感情を抑圧しながら、それでも確かに何かを感じている」ことが表現されているのです。
この「わずかな感情の揺れ」こそが、静止画であるはずの絵画に命を与えており、観る者は彼女の内面の複雑さを直感的に感じ取ります。
作品の最大のトリックは「背後の鏡」です。
彼女の背中が映り、その先に男性客と接している様子が映り込んでいます。
つまり、私たちが見ている彼女は鏡に映る「像」であり、私たち自身が実は客としてその前にいる可能性を示唆しています。
鏡の「縁」が描かれていることで、私たちがその「外側」にいることがほのめかされ、観る者自身をも構図に取り込む仕掛けになっているのです。

マネはこの鏡像の構成を何度も描き直し、人物の位置を調整した形跡がX線調査で確認されています。
彼女を中央からずらすことで、彼女の存在感とアイデンティティを浮き立たせたのです。
マネが描いたシュゾンは、「バーメイド」と呼ばれる最下層の職業女性。
表の仕事はバーメイド、裏の顔は娼婦という二重の生き方を強いられています。
これは華やかに見えるパリの社交界の裏側にある女性の現実、都市に生きる者の孤独と階級の差を浮かび上がらせます。
シュゾンの表情に「感情の空白」があるように見えるのは、彼女自身が「商品」として社会に差し出されている存在だからです。
森村泰昌氏が指摘するように、マネは彼女の腕を太く、長く描きました。
これは「弱き者を力強く」見せるための美術的逆転であり、マネの社会的視点が反映されています。
この作品はマネの死の前年に描かれた、いわば「遺言」のような絵です。
若き日のような光や歓喜はありませんが、代わりにそこにあるのは、現実をそのまま受け止めながらも、それでも前を見つめる「人間の尊厳」です。
シュゾンはカウンターに手をつき、やや前傾姿勢です。これは「無力」ではなく、「踏み出そうとする意志」の象徴とも読めます。
この姿勢と構図は、観る者に「生きるとはどういうことか」「見た目に惑わされていないか」という問いを投げかけます。