ラジオ番組 マイあさ! サンデーエッセー「インドである特別な体験」を聞いて

2025年5月25日に放送されたラジオ番組 マイあさ! サンデーエッセー「インドである特別な体験」を聞いて

この番組は、単なる旅行記を超えて、「信仰」「身体性」「心の浄化」といったテーマが重層的に絡み合った、深い精神的体験の報告になっています。

冒頭で語られる「修行型の海外旅行」は、現代の消費的な観光スタイルへの対比として提示されています。

通常の「バカンス」が快楽や癒しを目的としているのに対し、ここでの旅は「浄化」や「精神性の回復」を目的としており、むしろ不便さや寒さ、集団生活などのストレスを通じて内面と向き合う時間を得る構造になっています。

これは現代日本人の多くが求めている「意味のある体験」や「自分探し」の延長にあるともいえます。

物質的に満たされていても、どこか心の空虚さを感じる現代人にとって、「信仰の場」に身を置くことは、自己再生の手段となりうるのです。

クンブメーラは、ヒンドゥー教の最大級の祭典であり、神話に基づく宇宙的な時間感覚に支えられています。

特に2025年の開催は「マハ・クンブメーラ」とされ、天体の配置的に144年に一度という極めて稀なタイミング。

信者にとっては、天体と神の意志が一致する「宇宙的に祝福された時間」であり、ガンジス川での沐浴は単なる宗教行為ではなく、「運命の書き換え」に近い感覚を持つものとされます。

このようなスケール感や時空の概念は、日本の日常とは大きくかけ離れており、聴き手に「大きな物語への没入感」を与えます。

報告者はヨガ、瞑想、火の儀式などにも参加し、身体を通じて宗教的行為に身を投じています。特に印象的なのは、ガンジス川への入水体験です。

通常の宗教行為が「観念」や「言葉」によるものだとすれば、ここでの信仰体験は「冷たい水に浸かる」という感覚的リアリティを伴っています。

「川が温かく感じた」という描写は、信仰的な恍惚や、非日常における感覚の再編成を暗示しています。

また、筆者が「頭まで沈めなかった」という小さなエピソードも重要で、「完璧な信仰の遂行ができなかった自分」に対するユーモラスな自己省察が、日本的な感性(謙虚さ・自嘲)をにじませています。

沐浴を通して得たのは、「完全な浄化」ではなく、「包まれたような安心感」。

これは非常に重要な視点で、信仰体験が必ずしも劇的な変化ではなく、「自分との和解」や「静かな安心感」に至るプロセスであることを示しています。

「過去、現在、未来を6割ぐらいしか清められなかったかも」という表現にこそ、「不完全でもよい」という受容の姿勢が表れています。

これは現代人の「自己否定」や「完璧主義」をほぐすような、柔らかなメッセージとも受け取れます。

この体験記は、インドのクンブメーラという非日常的な宗教行事を通して、「生きること」と「信じること」の本質にそっと触れるような、静かで力強い物語です。

日本のリスナーにとって、それは現代に失われつつある「魂の居場所」を想起させるものであり、自分自身を見つめ直すきっかけを与えるものでしょう。