ラジオ番組 マイあさ!「生成AIが教室にやってきた!どう使う?」を聞いて
2025年5月14日に放送されたラジオ番組『マイあさ!「生成AIが教室にやってきた!どう使う?」』(放送局:NHK)を聞きました。
まず感じたことは、「生成AIと教育現場の新たな関わり方」に対する真摯な模索と希望です。
特に印象的なのは、AIをただの便利な道具として一方的に使うのではなく、「人間が主導権を握り、共に考える」姿勢が貫かれている点です。
子どもたちがAIの生成した文章をただ受け入れるのではなく、「それって事実と違うよね」「自分の経験とは合わない」とツッコミを入れ、自分たちの目で確かめ、考える様子には、教育の本質が感じられます。
つまり、AIは教材として非常に優れているけれど、あくまで「問い直すきっかけ」としての役割を担うべきだということです。
子どもたちは情報を受け取るだけの受動者ではなく、AIの出力に対して「それって本当?」とツッコミを入れる能動的な姿勢を学んでいます。
これはまさに、批判的思考(クリティカル・シンキング)の実践そのものでもあります。
また、感謝の手紙を書くという活動を通じて、「心を込める」「自分の言葉で表現する」といった、人間ならではの感性や思いやりの重要性も改めて浮き彫りになっていました。
子どもたちがAIと向き合いながら、「じゃあ自分はどう感じた?」「自分だったら何を伝えたい?」と考える過程こそが、AIでは代替できない人間の力を育む場になっていると感じます。
それは感性の育成だけではなく、「自己表現」「他者理解」「共感」といった倫理的・社会的スキルを育む機会としても位置づけられます。
教育にAIを取り入れるには、リスクへの配慮は不可欠です。
①AIに頼りすぎると、自分の頭で考える力が育たない。
②AIは本物らしく書くが、内容の正確性は保証されない。
③AIが書いた文章には“自分の思い”や“経験”が反映されないため、表現が形式的になりうる。
そういったリスクを回避するために、「人間中心」の姿勢が強調されており、教師や保護者が「使い方」と「限界」をきちんと子どもに教える責任があるとされている。
ここでは、単に「AIにできないことを人間が補う」という消極的な姿勢ではなく、人間ならではの価値を再確認するという積極的な意義があります。
感情や思いやりをこめた表現、相手との関係性を大事にしたやり取り、一人ひとりの個性がにじむ言葉の選び方、これらは機械では模倣できない「人間らしさ」の核心部分です。
そうした力を再認識することで、「AIに何を任せて、何を自分が担うか」という主体的判断ができるようになります。
この授業実践は、AIの技術教育でありながら、人間教育そのものでした。
AIとの比較を通して、人間であることの意味を問い直し、学びの主体としての子どもたちを育てる。
このような教育こそが、AI時代を生きるための確かな土台になると言えるでしょう。