ラジオ番組「生放送スペシャル 不登校・さて、どうしよう?」を聞いて(1)

2025年5月6日に放送されたラジオ番組 「生放送スペシャル 不登校・さて、どうしよう?」(放送局:NHK)を見ました。

 

 

①この番組は、不登校や学校に行きづらい子どもを持つ保護者の不安や葛藤に寄り添いながら、少しでも安心できる視点を提供しようとしていた。

冒頭の「何が正解か分からない中で…」という言葉からは、混乱や不安の中で、手探りで対応している保護者の心情がにじみ出ており、多くの人が「まさに自分のことだ」と感じるのではないでしょうか。

その後に続く、「混沌とした時間が続くこともある」「それを知っているだけでも少しは気持ちが落ち着くかもしれない」という言葉は、現実の厳しさを否定せずに受け止めつつ、それでも前向きな希望を見出そうとしている姿勢が印象的です。

また、不登校=将来の引きこもりという連想に対して、調査データをもとに「社会参加している人が多い」という事実を伝えている点も重要です。

]根拠のある情報が、漠然とした不安を和らげる助けになるという考えに、強く同意します。

全体として、「今は見えないけれど、いつか光が見える」と伝えてくれており、やさしく力強いメッセージになっていました。

 

 

②不登校の子どもを抱える家庭における苦悩、気づき、そして希望を率直に語たっていました。

そのなかでは、「学校」よりもまず「家庭の雰囲気」が重要だという指摘がなされています。

この視点は非常に本質的で、外部要因ばかりに目が向きがちなとき、もっとも身近な“安心の場”である家庭こそが、子どもにとっての土台になるということを改めて気づかせてくれます。

「心療内科に行っても根本解決ではなかった」「励ましの言葉が響かなかった」といった告白は、支援する側が陥りやすい“正しさ”や“努力”の限界を示しており、とても大事な視点です。

特に、「ただ生きているだけでいいと言ってほしかった」「ぐうたらと過ごしていても生きていていいんだということを示す行動が価値を取り戻してくれた」という一節は深い意味を持ちます。

「ただ生きる」「ぐうたらと過ごしていても生きていていいんだ」ということの重要性を如実に示しています。

 

②親としての葛藤と成長も語られています。

無理に学校へ戻そうとして失敗したこと、自分を責めたこと、そのうえで「離れてみて初めて見えることがあった」と振り返る姿は、多くの親にとっての救いになると思います。

特に、「評価の枠組みから離れて、ただ一緒に過ごす時間が宝物になった」という気づきには、深い癒しと希望が感じられます。

 

 

③番組の中で、「父親のかかわり方」にも焦点が当てられていました。

父親の参加が増えているという変化がさりげなく語られていて、社会全体の育児意識の変化を感じさせます。

かつては“母親任せ”が当たり前だった場に、少しずつ“父親も関わる”という風が吹き始めている。

小さな変化かもしれませんが、それが支援の質や家族のチーム力に大きく影響することが伝わってきます。

母親視点から見た夫婦の変化と、家族内の葛藤と修復がリアルに描かれています。

「自分がうつになってから夫が変わった」「昔はピリピリしていたけれど、今はチームワークが取れるようになった」という流れには、多くの共感が集まるのではないでしょうか。

一方が感情的になり、もう一方が黙って支える──このようなバランスの変化が、危機を乗り越えていく過程の中で育まれたというのは、希望に満ちたメッセージです。

子ども側から見た父親像もとても印象的でした。

日常的な関わりが少ない中でも、父親が「学校に行かなくてもいいよ」と言ってくれたこと、一緒にアニメや映画を見てくれたことが、心の支えになった──その事実が静かに語られています。

これは“関わる量”ではなく、“関わる質”の重要さを示しており、特に父親の立場で読んだとき、大きな気づきを与えてくれる内容です。