美の巨人たち 円山応挙 「雪松図屏風」を見て
2018年1月20日に放送されたテレビ番組 美の巨人たち 円山応挙 「雪松図屏風」(放送局:テレビ東京)を見た。
この番組から、円山応挙の「雪松図屏風」が持つ芸術的な深さと、それを丁寧に読み解こうとする鑑賞者の感動がよく伝わってきます。
特に印象的なのは、応挙が写実を超えて“本質”を描こうとしていたことに対する鋭い洞察です。
応挙は、対象の内側にある「本質」――たとえば生命感や空気感、時間の流れといった“目に見えないもの”を描こうとしました。
この姿勢は、単なる技巧や技術にとどまらず、「観る者の心に届く絵」を目指したという芸術観に通じます。
また、黒松と赤松の対比がとても印象的です。
右隻の黒松の力強さと、左隻の赤松の優しさを、写実的でありながらも詩情豊かに表現しているという指摘に、応挙の画家としての繊細な観察眼と心の深さを感じます。
母と子のような赤松の描写からは、単なる自然描写ではなく、人間の感情や関係性をも投影していることが読み取れ、絵画が静かに語りかけてくるような気がしました。
そして、あえて“描かない”ことで雪の白さを表現するという発想は、まさに日本美術の「余白の美」を象徴しているように思います。
描かないことで、雪の持つ静謐な質感が生まれる。
雪は儚く、やがて溶けていく存在。
それを「無」の形で示すことで、時間や移ろいまでも表す。
鑑賞者は、描かれていない空白に「自ら雪を見てしまう」。
このとき鑑賞者は「能動的に絵に参加している」状態になります。
さらに、白さを保つために裏打ち紙に米粉紙を用いたという紹介は、技術的な側面にも目を向けており、絵画が長く美しさを保つ背景にある工夫にまで感動が及んでいることを表しています。これは、単に「美しい絵」を描くだけでなく、「永く美を伝える」という志に通じています。
金泥や金砂子といった伝統的な装飾と、写生によるリアルな描写との融合も、彼の革新性を強く印象づけています。
雪の背景に金泥や金砂子が使われていることで、静寂な雪景色の中にも温かみと品格が加わる。
金の煌めきは「冬の光」や「空気の粒子」のように見え、単なる豪華さではなく、「時の移ろい」「空気の質感」まで表現している。
応挙の「写形純熟ののち気韻生ず」という言葉が、応挙の芸術哲学をよく表しており、西洋的な遠近法や写生を取り入れながらも、宋・元の文人画の伝統にも通じる、形を極めた先に見える精神性を大切にしていたことが分かります。
最後の「早すぎた印象派のように」という表現が使われています。
印象派は、光や空気の変化を捉えることを目的とした19世紀フランスの画家たちの運動ですが、応挙の絵にはそれに通じるような、柔らかな光、空気の湿度、瞬間の情感といった印象派の表現が先取りされています。
円山応挙「雪松図屏風」は、写実と詩情の融合、技術と哲学の統一、自然を描いて人間を映す東洋美術の精神を兼ね備えた、日本美術の到達点ともいえる作品です。