美の巨人たち 上村松園 作「序の舞」を見て

今日の一枚 、上村松園 作「序の舞」 縦2m 33cm、横1m 41cm の 大きな美人画 です。

 

 

また、彼女の苦闘の日々を描いた後、後半でこの絵を次のように説明しています。

「艶やかな振袖姿の女性が厳かに序の舞を舞っています。

その姿は幽玄 、おかしがたい気品と力強い生命力に溢れています。

生身の女だからこそ発する情念の迫力。

松園ならではの誠実な筆で閉じ込めた究極の美人画。

生涯追い求めてきた究極の女性の美しさを、松園は苦しみの果てに、「序の舞」に結実させたのです。

この絵に描かれた女性の姿は、彼女自身でしょう。

芯の通った、背筋のピンと伸びた生き方、ひたすらに生きる自分の姿を描いた。」

この番組で述べられているように、上村松園の絵には、単なる美人画を超えて、女性の芯の強さや精神性が表現されています。

この作品には、外見の華やかさの奥にある「静かなる力強さ」を感じさせてくれます。

 

(松柏美術館)

 

松園は晩年 言っています。

「その絵を見ていると、邪念の起こらない、またよこしまなな心を持っている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる。

芸術を以って人を済度する。

これくらいの自負を画家は持つべきである。」

素晴らしい言葉ですね。

上村松園のこの言葉には、彼女が絵に込めた信念と覚悟がはっきりと表れています。

確かに、「序の舞」には、ただの美しさではなく、見る者の心を落ち着かせ、静かな敬意や清浄な気持ちを呼び起こす精神性が宿っています。

色彩の選び方、表情の穏やかさ、構図の静謐さ、金箔を思わせる背景の無地――すべてが、見る者の心の奥にそっと寄り添ってくるようです。

「芸術を以って人を済度する。」  

この言葉は、芸術をただの技巧や表現ではなく、人の心を浄化し、導くものとしてとらえた松園の決意に満ちています。

仏教でいう「済度(さいど)」という言葉を使っているあたりにも、彼女の芸術の背景にあるものを示唆しています。

 

岡本太郎「縄文土器論」と比較すると、表現の方向性は正反対です。

しかし、どちらも「芸術を以って人を動かし、魂に触れる」作品である点では一致しています。

太郎は「原始の烈しさ」で人を目覚めさせるなら、松園が「浄めの美」で人を済度する。

動と静、爆発と抑制――まさに芸術の二極です。