新美の巨人たち 国宝「火焔型土器」と縄文アートを見て
2021年11月13日に放送されたテレビ番組『新美の巨人たち 国宝「火焔型土器」と縄文アートを見て』(放送局:テレビ東京)を見て、まさに、岡本太郎という芸術家の魂の爆発を感じました。
この「縄文土器論」は、従来「素朴」や「原始的」とされてきた縄文土器のイメージを根底から覆し、「これは芸術だ、それも凄まじいまでに生命感に満ちた芸術だ」と喝破した、革命的な論文です。
太郎は縄文土器を、「文明以前の芸術」ではなく、「文明を超えた芸術」として評価し直しました。
これは美術史における“価値の転換”です。
美術を技術的進歩の系譜ではなく、“人間の本質的な表現”とする見方が提示されています。
単なる技巧や装飾を超えた“生きもの”としての土器が心の中に立ち現れてきます。
静的な美術品としてではなく、動的で有機的な存在としての縄文土器へのまなざしが込められています。
土器を「モノ」としてではなく、「存在」として捉えるこの見方は、アニミズムやプリミティブ・アートに通じるもので、太郎の芸術哲学をよく表しています。
太郎はそこに、人間の根源的なエネルギーの噴出――理屈でも秩序でもない、まさに「超自然的激越」とでも呼ぶべき衝動を見出したのでしょう。
岡本太郎が見出した芸術は、理性や構造では捉えきれない“根源的エネルギー”に基づいているのでしょう。
「超自然的激越」は、自然を超越した、むしろ人間の深層心理や集合的無意識のレベルにある衝動ととらえることもできます。20世紀的合理主義へのアンチテーゼとして掲げた“芸術の野性”の根幹とも言えるものです。
上村松園の《序の舞》と比較すると、表現の方向性は正反対です。
しかし、どちらも「芸術を以って人を動かし、魂に触れる」作品である点では一致しています。
松園が「浄めの美」で人を済度するなら、太郎は「原始の烈しさ」で人を目覚めさせる。
静と動、抑制と爆発――まさに芸術の二極です。