AI検索の便利さの裏で何が失われるのか――報道・広告・民主主義を揺るがす情報流通の転換点

2026年1月13日に放送されたラジオ番組「マイあさ!」けさの“聞きたい「AI検索でどうなる? 報道と広告」工藤郁子(大阪大学特任准教授)を聞きました。 

① 論点の整理と深化(より詳しい分析)
この放送が鋭いのは、AI検索を「便利な技術」ではなく「情報流通の構造変化」として捉えている点です。
AI検索は単なる検索の高度化ではありません。質問に対して「情報源へ案内する」役割から、「回答そのものを提供する」役割へと転換しています。GoogleのAI概要(AI Overviews)は、その象徴的な存在です。

この転換によって、三つの深刻な問題が同時に生じています。
1)正確性と責任の所在の問題
AIが生成する回答は、もっともらしく整っているがゆえに、誤りがあっても利用者が疑いにくい。
しかも、要約の過程で文脈が失われ、報道の意図と異なる意味に変換される危険がある。
これは単なる「誤情報」ではなく、報道機関の信用を間接的に毀損する構造的リスクです。

2)著作権と経済モデルの崩壊
新聞記事や写真がAI回答の材料として大量に使われながら、
利用者はリンクを踏まず、結果として広告収入が減る――いわゆる「ゼロクリック検索」の問題です。
ここで重要なのは、報道機関が損をし、AI企業が得をするという単純な対立ではなく、取材・調査という公共財の“原資”が枯渇していく構造が生まれている点です。
報道は「無料で自然発生する情報」ではなく、時間と人とお金を投じて初めて成立します。
その循環が断たれれば、社会全体が長期的に損失を被ることになります。

3)優越的地位の濫用という視点の重要性
この放送がとくに評価できるのは、AIと報道の関係を「競争」ではなく「取引関係」として捉え、そこに「優越的地位の濫用」という法的・制度的概念を当てはめている点です。
大手新聞社は交渉や訴訟が可能でも、中小・地方メディアはそうはいかない。
これは、情報の多様性が失われる危険を意味します。
結果として、中央の大手だけが生き残り、地域や専門分野の声が消えていく――この点は、民主主義の基盤に関わる問題です。

② 感想
この回の「マイあさ!」は、非常にバランスの取れた公共報道でした。
利便性をきちんと認めたうえで、「では、その便利さの裏で何が起きているのか」を丁寧に掘り下げています。
アメリカやフランスのメディアと提携し、閲覧数に応じて収益の8割を新聞社に還元する事例は、「対立か共存か」という二者択一ではなく、ルール設計によって共存は可能だという現実的な展望を示しています。
また、ときどきは元記事を読む、情報源を確かめる――これは小さな行為ですが、長期的には情報環境を支える力になります。

この放送を聞いて強く感じるのは、AI検索の問題は、技術の問題ではなく「人間がどのような社会を維持したいのか」という問いだということです。
もし報道機関が衰退すれば、
・権力を監視する目が弱まり
・事実の裏取りが減り
・AIが生成した「それっぽい説明」だけが流通する社会になる
そのとき私たちは、「知らないうちに、考える材料そのものを失っている」という状態に陥るかもしれません。
だからこそ、この回が最後に示した情報源の記事を読むことが、長期的には自分たちの未来を守るというメッセージは、とても静かで、しかし重い。

便利さに身を委ねきるのではなく、人間の側が“確かめる責任”を手放さないこと。
この姿勢こそが、AI時代における新しい「情報リテラシー」であり、民主社会を支える倫理なのだと、あらためて考えさせられる放送でした。
全体として、非常に示唆に富み、「朝のラジオ」でここまで深い問題提起を行った点を、強く肯定的に評価したい内容です。