目的を手放したとき、幸福は足元に現れる――禅と哲学が示す「いまを生きる」行為の転換
2026年1月11日に放送されたラジオ番組「宗教の時間 AI時代に学ぶ禅-本来の自己を生きるために (第4回) 道そのものを愉しむ-目的・手段思考からの脱却」藤田一照(禅僧)を聞きました。

1.さらに詳しい分析(思想的構造の整理と深化)
この文章の核心は、「幸福・修行・行為・理性・生」を〈目的と手段〉という二分法から解放し、〈いま・ここ〉の充実として捉え直す点にあります。
2.「幸福が道である」という逆転の思想
There is no way to happiness. Happiness is a way.
この言葉は、幸福を「欠如した状態から将来獲得すべき成果」とみなす近代的発想を、根底から反転させます。通常の思考では、
・今は不十分
・努力・修行・成功の「先」に幸福がある
と考えがちです。
しかし、藤田一照師が紹介する禅的視座では、幸福は未来の報酬ではなく、現在の在り方、足元にすでにあるものと深く出会うことが、道そのものになるとされます。
これは「到達点としての幸福」を否定するのではなく、幸福を「時間の中に先送りしない」思想だと言えるでしょう。
3. アリストテレスの行為論との接続の巧みさ
キーネーシス/エネルゲイアという区別は、抽象的な哲学概念でありながら、登山と散歩という比喩によって、驚くほど具体化されています。
キーネーシス
・行為の外に目的がある
・途中は未完成
・失敗・挫折が生じる
エネルゲイア
・行為の最中がすでに完成
・一歩一歩が意味をもつ
・成否という評価が入り込まない
禅の修行観が、古代ギリシャ哲学と自然に響き合うことで、この思想が宗教的特殊性を超えた「人間の生き方の原理」として立ち上がっています。
4. 修行=悟りという道元思想の現代的再解釈
「修行して、何が得られるのか」という問い自体が、すでに目的・手段思考に囚われている。
この指摘は、宗教実践にとどまらず、
・学び
・仕事
・子育て
・創作
・人間関係
あらゆる場面に鋭く刺さります。
「成果が出るから価値がある」のではなく、「その行為に身を浸していること自体が完成している」
この感覚は、効率と成果に追われる現代人にとって、きわめてラディカルで、同時に深い救済性を持っています。

5. 道具的理性批判とAI時代への示唆
ホルクハイマーのいう「道具的理性」は、
・速さ
・安さ
・効率
・最短距離
を絶対化します。
AIやテクノロジーの進歩と相性がよい一方で、
・今この瞬間
・人との関係
・無駄に見える営み
・驚きや畏れ
を切り捨ててしまう危険も孕みます。
ここで禅の「エネルゲイア的生」は、AI時代における人間の尊厳を守る思想的拠点として浮かび上がります。
6. センス・オブ・ワンダーとしての禅
最終的に描かれるのは、
・どこかへ到達しなくても
・何かを得なくてもただ今、世界と出会っている喜び
です。
掃除・料理・坐禅といった日常行為が、世界の驚異に触れる場へと変わる。
ここでは修行は「努力」ではなく、世界に対する感受性の回復として再定義されています。
7.感想
この文章の最も優れた点は、抽象的な哲学・宗教思想を、日常感覚にまで引き下ろしていることです。
禅や哲学は、ともすれば「特別な人のための難解な思想」になりがちですが、
ここでは、
・山を歩く
・台所に立つ
・今、息をしている
といった誰もが経験する行為の中に、思想の核心が静かに息づいています。
また、「目的と手段を分けない」という態度は、成果主義に疲れた現代人にとって、怠惰への誘惑ではなく、むしろ誠実さへの呼びかけとして響きます。
・「先を急がなくていい」
・「今をちゃんと生きればいい」
その言葉は甘い慰めではなく、生の姿勢を根底から問い返す厳しさを含んでいます。
AI時代においてこそ、この「今を完全に生きる」という禅的態度は、人間が人間であり続けるための、静かな指針になると感じました。
