「辞めた理由」では見えない組織の力――若手が“静かに辞めない理由”にこそ未来の鍵がある
2026年1月6日に放送されたラジオ番組「マイあさ!」マイ!Biz「“辞めた理由”より“辞めない理由”に注目を」古屋星斗(リクルートワークス研究所主任研究員)(NHK) を聞きました。

1.論点の核心:「辞めた理由」から「辞めない理由」への視点転換の意義
古屋星斗氏の議論の最も重要なポイントは、離職問題を「ネガティブな出来事の分析」から、「静かに続いている選択の理解」へと転換したことにあります。
企業や研究の現場では、これまで「なぜ辞めたのか」「どこが不満だったのか」という問いが中心でした。
しかしそれは、すでに関係が切れた人の“過去の説明”に依存する分析であり、現場を変える手がかりとしては限界がありました。
一方で、「なぜ辞めていないのか」という問いは、現在進行形の関係性・感情・納得の構造を浮かび上がらせます。
しかもそれは、離職の危機に直結する層(迷っている人、気持ちが冷めつつある人)だけでなく、これまで可視化されてこなかった「黙って働き続けている人々」に光を当てる問いでもあります。
2.80%が考え、20%しか伝えていない――沈黙の構造
「80%以上の人が『なぜ辞めないか』を考えたことがあるが、それを上司や人事に伝えたことがある人は20%程度」というデータは、日本企業の文化的特性を端的に示しています。
ここには二重の問題があります。
・語る側の問題
「辞めない理由」は、必ずしも立派で一貫した物語ではありません。
待遇が悪くないから、転職活動が面倒だから、勇気が出ないから、特に理由はない――こうした理由は、本人にとっては現実的でも、「言語化する価値がある」と感じにくい。
・聴く側の問題
企業側もまた、「前向きで分かりやすいやりがいの話」以外を受け止める準備が十分ではありません。
泥臭い理由や曖昧な理由は、「動機として弱い」「評価しにくい」として、無意識のうちに排除されてきました。
この結果、「辞めない理由」は個人の内面に留まり、組織知として蓄積されないままになってきたのです。
3.多様で些細な「辞めない理由」が持つ本当の価値
都市対抗野球の応援を一緒にできるから、という一見ユニークな理由は、実は非常に示唆的です。
それは「制度」でも「評価」でもなく、一緒に時間と感情を共有できる関係性が、仕事の継続を支えていることを示しています。
同時に、「ひとりでコツコツやりたい人もいる」という指摘が重要です。
辞めない理由は決して一つの理想像に収束しません。
集団性を好む人、専門性に没頭したい人、安定を重視する人、変化を恐れる人――それぞれが異なる理由で同じ組織に留まっています。
この多様性を「弱さ」や「曖昧さ」と見るのではなく、組織の厚みそのものとして捉える視点が、この議論の成熟度を高めています。
4.「問題がない人」として放置されてきた35%の意味
特に印象的なのは、「現状に納得しているが、それを口に出していない人(35%)」への評価です。
彼らは、トラブルも起こさず、要求も強く主張せず、業務を粛々とこなしてきました。
日本の企業社会は、まさにこの層によって支えられてきたと言っても過言ではありません。
しかし、問題がないからといって、関係性が健全に保たれているとは限らない。
語られない納得は、環境変化や小さな不満の積み重ねで、ある日突然崩れます。
ここで古屋氏が示唆しているのは、「不満の解消」よりも前に、納得を言葉にできる状態をつくることの重要性です。

5.日本的雇用を内側から更新する提案
この議論の優れている点は、日本的雇用を単純に否定せず、また転職礼賛にも陥らず、現実の変化を冷静に踏まえた上で、内側から更新しようとしていることです。
・転職した方が所得が上がる時代になったという構造変化
・それでもなお、辞めずに働き続けている人が多数いるという現実
・その理由は、制度ではなく「関係性」「文化」「語られた記憶」にあるという洞察
これらを結びつけ、「企業固有の魅力を語り合い、蓄積する」という提案に落とし込んでいる点は、非常に実践的で誠実です。
6.感想
最後の「粛々と仕事をしている若手。なぜ彼らは辞めないのか?」という問いは、離職対策を超えて、組織と人間の関係性そのものを問い直す言葉だと感じました。
人は必ずしも、明確な理由や大きな希望があって働いているわけではありません。
それでも「今日もここにいる」という選択を続けている。
その静かな選択の積み重ねの中にこそ、企業が本当に守るべき価値が眠っている――この番組は、そう静かに語りかけてきます。
退職理由ばかりを追いかけるのではなく、辞めずにいる人の沈黙に耳を澄ます。
その姿勢こそが、これからの日本企業にとって最も重要な人事戦略なのではないかと、深く考えさせられました。
