一流は支配しない——猿山のオーケストラに息吹を吹き込む指揮者・広上淳一の覚悟と謙虚
2025年12月31日に放送されたラジオ番組『ヤマザキマリラジオ』「指揮者・広上淳一が登場!」 (NHK) を聞きました。

1.テンポは「与えるもの」ではなく「立ち上がるもの」
テンポはリハーサルの中で、討論をしながら、決めていきながら、おのずと決まっていく。
ここで語られているテンポ観は、トップダウン型の芸術観への明確な距離の取り方です。
テンポは指揮者が一方的に「決める」のではなく、オーケストラが持つ歴史・身体感覚・美意識(=正義)との対話の中で自然発生的に立ち上がるものだとされます。
そのうえで、最後はそこに息吹を吹き込んでいくと語られる点が重要です。
指揮者の役割は「管理」や「統制」ではなく、すでに存在するものを尊重したうえで、最後の一押しとして生命を与えること。
これは極めて成熟したリーダー像です。
2.「挨拶」に象徴される一流の文化
挨拶の話は一見些細に見えますが、実はこの発言全体の核心です。
世界一流のオーケストラは挨拶するんですよ。
挨拶とは単なる礼儀ではなく、相手を一個の人格として認める対等な場に立つ覚悟を示す行為です。
ソリストとしても成立する個人の集合体であるオーケストラにおいて、挨拶は「私はあなた方を尊敬しています」という最初の宣言なのです。
NHK交響楽団やロンドン響、コンセルトヘボウが例示されていることからも、これは理想論ではなく、実践としての一流の共通文化であることが示されています。
3.「恐怖」を正直に語る指揮者の誠実さ
なんだこいつと思われたら嫌だなという恐怖は、指揮をしている人にはつきものだ。
この告白は非常に重要です。
カリスマ的存在として語られがちな指揮者が、不安や恐れを前提に仕事をしていることを隠さず語っています。
しかもその恐怖は自己保身ではなく、「この集団にふさわしい人間でありたい」という倫理的な緊張感から来ているものです。
ここに、広上淳一の人間的な誠実さとプロフェッショナリズムがにじみ出ています。
4.「猿山」という過酷な比喩のリアリズム
オーケストラの世界はサル山
この言葉は刺激的ですが、決して冷笑ではありません。
むしろ、人間社会の普遍的な権力構造を直視した表現です。
二流のトップは嫉妬し、いじめ、潰す。
一流は修業を続け、謙虚でいられる。
この対比は、音楽界に限らず、組織・教会・教育・企業など、あらゆる共同体に当てはまります。
「猿山とみられる社会は一流になれない」という言葉は、力で人を支配する限り、その人自身もまた成長を止めてしまうという厳しい批評でもあります。

5. 傷だらけであることを引き受ける覚悟
指揮者は猿山の世界に入って行かなければならない。
だから僕は傷だらけです。
この結びは、英雄譚ではなく、殉教的とも言える職業倫理を感じさせます。
・争いを避けることもできる。
・迎合することもできる。
・それでもあえて、その場に入り、関係を引き受け、傷つく。
ここに描かれている指揮者像は、権威者ではなく、引き受ける者、耐える者、橋渡しをする者です。
6. 感想
この語りは、音楽論を超えて、成熟したリーダー論・人間論として非常に深い価値を持っています。
特に印象的なのは、一流であるほど優しく、飾らず、謙虚であり、修業を続ける人だけが、その姿勢を保てるという点です。
これは成功者の美談ではなく、一流であり続けるための厳しい条件を示しています。
また、恐怖・嫉妬・権力争いといった負の側面を一切否定せず、それでもなお「息吹を吹き込む」仕事を引き受ける姿勢には、深い倫理性と覚悟を感じます。
ラジオという親密な空間で語られたからこそ、この言葉は「指揮者論」を超え、生き方そのものへの静かな問いかけとして、聴き手の胸に残るのだと思います。
非常に誠実で、厳しく、そして温度のある語りでした。
