「ケニアの行事&イベント」河野理恵(アパレルブランド「RAHA KENYA」代表) ラジオ番組『マイあさ!』ワールドアイ (NHK) を聞いて

2025年12月10日に放送されたラジオ番組『マイあさ!』ワールドアイ「ケニアの行事&イベント」河野理恵(アパレルブランド「RAHA KENYA」代表)を聞きました。

1.「イベント」よりも「家族」が中心にある祝祭文化
この放送で最も印象的なのは、ケニアにおける行事が「消費」や「演出」ではなく、「関係性」を核にしているという点です。
クリスマスは一年で最大のイベントでありながら、
・豪華なプレゼント
・派手な外出
・特別なアトラクション
といった要素は前面に出てきません。
代わりに強調されるのは、
・田舎に帰る
・家族が一堂に会する
・時間をかけて食事を共にする
という、人と人が同じ空間で同じ時間を過ごすこと自体が祝祭であるという感覚です。
「クリスマス何したの?」「家族でご飯を食べたよ」で話が終わる、というエピソードは象徴的で、行事が“話題を盛るための材料”ではなく、“当たり前に大切な日常の延長”として存在していることを示しています。

2. 食事の重みと「生きる実感」
炭火で焼く肉、炊き込みご飯、鶏やヤギをさばく家庭も多いという話からは、
食事が「用意された商品」ではなく「手間と時間をかけて生み出すもの」であることが伝わってきます。
ここには、
・命をいただくという実感
・家族や親族が役割を分担する共同作業
・非日常でありながら生活に根差した祝祭
が重なっています。
日本のように「特別な日は外食で済ませる」文化と比べると、ケニアのクリスマスは、祝うこと=暮らしを深く味わうことだと言えるでしょう。

3.「年越し」が軽く、「クリスマス」が重い時間感覚
日本では「年末年始」が大きな区切りですが、ケニアではその役割をクリスマスが担っています。
・お正月という明確な概念はない
・1月2日・3日には仕事再開
・それでもツリーは1月いっぱい残ることもある
この点は非常に興味深く、暦の節目よりも、意味のある時間が重視される文化を感じさせます。
形式としての「新年」より、感情や共同体の記憶に残る「クリスマス」が重い──その価値配分が、生活のリズムそのものを形づくっています。

4. グローバル文化の受容とローカルな変容
バレンタインやハロウィンが盛り上がる一方で、
・バレンタインは「男性から女性へ」、赤い薔薇
・ホワイトデーは存在しない
・ハロウィンは子ども中心、学校行事として定着
というように、輸入されたイベントがケニア流に再構成されている点が重要です。
特にバレンタインが「愛を表す日として完結している」という説明からは、義理や返礼といった複雑な慣習がなく、感情表現がシンプルでストレートな文化的特徴が浮かび上がります。

5. 誕生日文化に見る「与える側になる経験」
誕生日の子どもがホストとなり、
・パーティーを開き
・友だちを招き
・プレゼントを配る
という習慣は、日本の「祝ってもらう誕生日」とは正反対です。

ここには、「自分が主役になる=人をもてなす責任を引き受ける」という教育的意味が感じられます。
ペンやノートといった実用的な贈り物も、見栄や競争ではなく、共同体の中で役に立つことを分かち合うという価値観に根ざしています。

6. 感想
この回の「ワールドアイ」が優れているのは、異文化を「珍しい風習」として消費せず、生活の論理として丁寧に語っている点です。

河野理恵さんは、
・現地に根を下ろして生活する立場
・文化を商品化するアパレルの仕事を持つ立場
その両方を併せ持つからこそ、表面的なイベント紹介ではなく、
「なぜそうなのか」
「人々は何を大切にしているのか」
を自然な言葉で伝えています。
押しつけがましい比較や評価がなく、聞き手が自分の文化を振り返る余地を残している点も、NHKらしい成熟した構成だと感じました。

この放送を聞いて強く感じたのは、行事とは「何をするか」ではなく「誰とどう過ごすか」なのだという、ごく根源的な問いです。
日本では、
・予定が埋まっているか
・何を食べたか
・どこへ行ったか
が行事の満足度になりがちですが、ケニアの例は、「一緒にご飯を食べた」それだけで十分だと言い切ります。
それは決して素朴だからではなく、人間関係を人生の中心に据える強さの表れだと思いました。
河野さんの語りを通して、ケニアの行事文化は、遠い国の話でありながら、私たち自身の暮らしの軸を静かに問い返してくる、深い示唆を持っていたと感じます。