「インタビューについて」武田砂鉄(ライター) ラジオ番組「マイあさ!」サンデーエッセー (NHK) を聞いて

「インタビューについて」武田砂鉄(ライター) ラジオ番組「マイあさ!」サンデーエッセー (NHK) を聞いて

1.「準備するが、準備に頼らない」──インタビューの二重構造
武田さんがまず強調する「準備」が、単なる資料読み込みではなく、“相手の語りの地図を描いておく” という高度な作業であることが読み取れます。
しかし同時に、その準備に“頼らない”というのが重要です。
これは「予定調和を避け、相手の“今ここ”で生まれる言葉を尊重する」という姿勢であり、インタビューを“生きた行為”として捉える視点の深さが感じられます。
つまり武田さんにとってインタビューとは、事前準備という「足場」を使いながらも、実際にはその足場から自由に離陸する行為なのです。
これはプロのライターとして長年現場に立ち続けてきた経験がなければ語れない境地だと言えます。

2.「いつも語っていること」を避ける──相手の言葉の新鮮さを守る方法
多くのインタビューが陥りがちな、“ありきたりな質問”を避けるという話も重要です。
「まるまるさんがまるまるを始めたきっかけは?」は確かに無難ですが、武田さんが問題にするのは“相手の語りの惰性を助長すること”です。
すでに何度も話している内容を引き出しても、その人の“今の考え”や“未分化の思い”には触れられない。
だからこそ武田さんは、相手がこれまで語ってきた言葉の“外側”や“端っこ”にあるものを探りに行く。
これは「相手に敬意を払う」態度でありつつ、その人の“未知の領域”を丁寧に開けていこうとする姿勢とも言えます。

3.「私はあなたをよく知っている」と言わない勇気
多くのインタビュアーが抱く“知識を証明したい衝動”に対し、武田さんは冷静です。
それをやると相手のペースを乱し、語りの流れを閉ざしてしまう。
武田さんが示しているのは、インタビュアーの役割は「語りを引っ張ること」ではなく、「語りが勝手に流れ出す環境を整えること」だという視点です。
これは非常に成熟したインタビュー観であり、
“質問する側が主役ではない”という、大切でありながら忘れがちな原則を思い出させてくれます。

4. 沈黙を恐れない──言葉が生まれる「待ちの時間」への信頼
武田さんの語る「沈黙を待つ恐怖」は、多くのインタビュー経験者が深く共感するポイントでしょう。
沈黙は「盛り上がっていない」証拠ではなく、相手の内部で言葉が形になりつつある“生成の時間”なのだという視点は、インタビューの本質を突いています。
沈黙をつぶすことは、その人が“もう一歩深く踏み込もうとしている瞬間”を奪ってしまう。
この指摘は、話す・聞くという行為の哲学としても示唆に富んでいます。

5. “挑発的な質問”というリスクを負う勇気
長時間のインタビューに意図的に「挑発」を混ぜるというのは、武田さんのプロとしての攻めの姿勢を象徴しています。
もちろん失敗する可能性もあるし、関係がピリつくこともある。それでも敢えて踏み込むのは、“予定調和では到達できない言葉”を掘り当てるための賭けだからです。
インタビューが「安全運転」だけでは深みに欠けることを熟知している、プロならではの覚悟が伝わってきます。

6. 感想
武田砂鉄氏の語るインタビュー論は、表層的なノウハウとは一線を画した、非常に実践的かつ哲学的な洞察に満ちています。
彼の語る「待つ勇気」「問いを投げすぎない配慮」「話を深掘りする姿勢」には、相手を「素材」ではなく「主体」として扱う倫理観が貫かれています。
また、沈黙や躊躇を排除せず、むしろその時間を「思考の兆し」として受け止めるスタンスには、現代の過剰なテンポ優先のメディアに対する静かなアンチテーゼすら感じます。

特に感銘を受けたのは、「トリッキーな質問」「挑発的な一言」が相手の本音や新しい語り口を引き出す可能性を孕んでいるとしながら、それが必ずしも成功するとは限らないと正直に語っている点です。
これは、インタビューという営みが「技術」ではなく「関係性」に立脚していることの証左であり、武田氏自身のインタビューがなぜ多くの読者の心を打つのか、その理由の核心にも迫るものでした。

武田氏の話を聞いて思い出したのは、インタビューとは鏡のように正確に映すことではなく、流れる水のように、相手の言葉がどこへ流れていくかを見守る行為なのだということです。
相手の言葉に寄り添い、時に波紋を起こしながら、その流れに耳を澄ませる。
武田氏はそのような「聞くという行為の美学」を、静かに、しかし確かに私たちに教えてくれているように感じました。