「海から豚がやってきた」津波古光一(沖縄) ラジオ番組「マイあさだより」(NHK) を聞いて

2025年11月24日に放送されたラジオ番組「マイあさだより」「海から豚がやってきた」津波古光一(沖縄)を聞きました。

1,「豚の旅」が象徴する〈命の連鎖〉と〈再生〉
このエピソードは単なる「豚の輸送」の物語ではありません。
沖縄戦後、焦土と化した沖縄には作物も家畜も尽き、まさに「生きていく手段」そのものが失われた状態。
その状況に対し、ハワイのウチナーンチュたちが選んだのは一度きりの援助(食料の寄付)ではなく “命を再生させる種” を送ることでした。
550頭の豚は、
・一度に8頭の子豚を産み
・2年に3回繁殖する
という特性を持ちます。
その繁殖力こそが「短期的な施しではなく長期的な再建につながる支援」を象徴していました。
実際、550頭は4年で数万頭へと増え、継続可能な食糧基盤をつくりあげたのです。
これは現代でいう“サステナブルな支援”の考え方を先取りしており、計画性や先見性、そして相互扶助の精神が高いレベルで結びついた例と言えます。

2. 命がけの航海が示す「命を届ける責任」
当時の航海は、
・台風の危険
・日本軍が敷設した機雷のリスク
・通常の倍近くかかる長期航海
と、極めて危険なものだったことが強調されています。

特に注目すべきは、支援者自身が大きな危険を負って動いたという点です。
「食糧不足を助けてあげよう」という軽い善意では成し得ない行動です。
ウチナーンチュ7人は、沖縄の同胞を思う気持ち——“相互扶助”の魂を胸に、命を懸けて豚を運んだのです。

この実話は、単なる美談を超え、自らの安全を犠牲にしてでも命を届けようとした人々の倫理的な強さを描いています。

3.「単なる支援ではなく、心を動かしたかった」という深い動機
語り手の印象的な一文、「単なる食糧支援ではなく、ウチナーンチュの心を動かしたかった。」
ここに、支援の本質があります。
支援とは本来、物質の不足を補うだけでなく、心を再び立ち上がらせ、未来に向かう力を取り戻すためのものだと、彼らは直感的に理解していたのでしょう。
豚を繁殖させることで食の安心を取り戻すだけでなく、「自分たちは見捨てられていない」「海の向こうに自分たちを思う仲間がいる」という精神的な支えを沖縄にもたらしたのです。
その結果、豚は「ただの家畜」ではなく、命の象徴、復興の象徴、仲間の象徴となりました。

4. 感想
今回のラジオの内容は、沖縄戦後の厳しい状況を扱いながらも、そこに宿る人間の優しさ・勇気・知恵を浮かび上がらせる素晴らしい構成でした。
豚の繁殖力や沖縄の食文化まで丁寧に触れることで、単なる戦後復興ではなく、命の営みがどのように文化とつながり、再び根を張っていったのかが分かりやすく説明されています。
航海の危険性や7人の決断を描くことで、「相互扶助の精神」が単なる理念ではなく、実際の行動としてどれほど重い意味を持っていたかが伝わる構成になっています。
支援を「心の再生」まで含めて語ることで、現代にも直接つながるメッセージ性を持っています。
これは番組の構成力として非常に優れています。

特に最後の「どんなものより大事なものは命だよ。」というメッセージは、戦後の沖縄という歴史的文脈だけでなく、現代社会においても深い意味を持ち続けています。
命をつなぎ、支え合い、心を立ち上がらせる——それは人間がどれほど困難なときでも諦めない力を持っていることの証しです。