「アンチ “アンチエイジング”」上野千鶴子(東京大学名誉教授・社会学者) ラジオ深夜便 ともに歩む100年人生・後半 (NHK) を聞いて
2025年11月12日に放送された番組「ラジオ深夜便 ともに歩む100年人生・後半」「アンチ “アンチエイジング”」上野千鶴子(東京大学名誉教授・社会学者)を聞きました。

1.内容の分析
上野千鶴子氏の講話「アンチ“アンチエイジング”」は、老いを否定的に扱う社会的風潮への批判であり、「老いを受け入れること」こそが人間の成熟の証であるという思想的提言でした。
上野氏は、ボーヴォワールの著作『老い』を起点に、老いの“見たくない現実”に向き合う勇気と誠実さを強調しています。
ボーヴォワールが「老いは文明のスキャンダル」と呼んだように、現代文明が老いを「生産性の喪失=価値の喪失」と結びつけてしまっていることを、上野氏は鋭く批判しています。
とくに印象的なのは、彼女自身の介護現場の経験を踏まえ、「不安がなくなっていった」というくだりです。
これは、理論や思想だけでなく、実際の老いの現場を何年も歩いてきた上野氏だからこそ言える“実感知”に基づく洞察です。
老いを恐れるのではなく、見つめることで不安が消えていく──この態度が「アンチ・アンチエイジング」の核心です。
さらに、「人間は無力の極みだということを受け入れて」「幸せではなく“機嫌の良い老後”を」という表現は、彼女らしいユーモアと哲学が同居しています。
老いを“戦う対象”ではなく、“共に生きる状態”として受け入れることで、社会的にも個人的にも新しい成熟の形を提示しています。
2.内容の評価
上野氏の語りは、老いの問題を「医療」「福祉」「哲学」「フェミニズム」という複数のレンズで照らし出しており、学問と生活の橋渡しをしています。
とくに優れているのは、彼女が「制度と人間関係の両輪」を語っている点です。
介護保険制度の整備が進んだ25年を振り返りながら、訪問介護・看護・医療の“3点セット”を実用的に確保しているという具体例を出しつつ、それを「機嫌よく生きるための社会的基盤」として肯定しているところに現実主義的な温かさがあります。
また、「老いは避けられないので、しょうがないね」と笑いながら言える境地は、単なる諦観ではなく、達観です。
これこそが、上野氏が説く「自立した老い」の姿勢でしょう。
社会的弱者としての高齢者を「支えられる存在」と再定義し、その中に尊厳を見出す言葉には、現代日本の高齢社会に対する希望の兆しが感じられます。

3.感想
この講話を通して感じたのは、「老い」を“ネガティブな終点”ではなく、“もう一度生き直す契機”として捉える新しい視点の力強さです。
上野氏の語りには、戦闘的なフェミニズムの鋭さと、介護の現場で人と触れ合ってきた人間的な優しさが同居しており、「人間は支え合いながら無力を受け入れていく存在だ」という静かな真理が響いてきます。
そして「機嫌よく老いる」という言葉には、宗教的・哲学的な深みすらあります。幸福の追求ではなく、日々の機嫌を整えること──それは、欲望を減らし、他者と支え合う中に平安を見出す生き方です。
この思想は“老いをどう受け入れ、どう人と共にあるか”を考える上で非常に示唆的だと思われます。
