「イギリス史上最大規模のえん罪事件」山田裕規(ロンドン支局長) ラジオ番組「マイあさ!」ワールドリポート (NHK) を聞いて
2025年10月31日に放送されたラジオ番組「マイあさ!」ワールドリポート「イギリス史上最大規模のえん罪事件」山田裕規(ロンドン支局長)を聞きました。

1.事件の構造と社会的教訓の深さ
この報告が描き出すのは、単なる「えん罪事件」ではなく、テクノロジーと組織の責任のあり方を問う構造的な悲劇です。
郵便局という地域社会の信頼基盤において、デジタル化が「正確さ」ではなく「不透明さ」をもたらした点は極めて象徴的です。
1999年から2015年という長期にわたって900人以上が冤罪に問われ、さらに補償対象者が1万人を超えるという規模は、公共システムの信頼崩壊そのものを意味します。
報告では、原因が「富士通のイギリス子会社が開発した会計システムの欠陥」にあったことを明確にしつつ、単に技術的な不具合ではなく、組織の隠蔽体質とガバナンス不全こそが被害を拡大させたと指摘しており、そこに社会的な鋭さがあります。
2. 山田記者の報告の優れた点:冷静な構成と倫理的焦点
山田裕規記者の報告は、事実関係の説明に終始せず、被害者の高齢化・補償の遅れ・制度の複雑さといった人間的・制度的側面まで丁寧に追っています。
数字(補償を受けた人9000人、請求者1万2000人)を交えながら、問題の「今も続く現在性」を可視化しており、聞き手に“終わっていない事件”であることを印象づけます。
特に、報告の終盤で触れた「いかにして企業が不都合な事実を隠さず、向き合っていくか」という問いかけは、倫理報道としての高い完成度を示しています。
単なる批判ではなく、再発防止と企業倫理の再構築を促すトーンがあり、ジャーナリズムとして非常に成熟したバランスを感じます。
3. 技術と正義のねじれ:21世紀型の“えん罪”
この事件の本質は、「テクノロジーによって生まれたえん罪」という点にあります。
人間の誤認や警察の過失ではなく、デジタルシステムのバグが人を罪に追いやったという事実は、AI時代に生きる私たちへの警鐘でもあります。
しかも、システムの欠陥が分かっていながら是正されなかったことは、技術的過信と組織的無責任の共犯関係を浮かび上がらせます。
ここには、現代社会が抱える「テクノロジー信仰」と「責任の希薄化」という二重の問題が凝縮されています。
山田記者がそこに倫理的視点を加え、「隠蔽せずに向き合うことの大切さ」を強調した点は非常に意義深いです。

4. 感想
イギリス政府は調査を独立機関に委ね、議会でも再調査と制度改革が進行していることから、民主主義社会の自浄作用が働いている点は注目すべきです。
一方で、日本企業(富士通)の関与が明らかになったことで、日本社会にとっても「技術輸出の倫理性」や「グローバル企業の責任」が問われることになりました。
これは、単なる他国の事件ではなく、日本の企業倫理・社会的責任の在り方にまで反響する鏡です。
山田記者の報告は、その国際的視野をもって、聴き手に「私たちはどのように同じ過ちを防ぐのか」という思索を促す構成になっています。
事件は痛ましいものの、報告全体を通じて感じるのは「正義の回復への希望」です。
補償や再審が進む中で、被害者が再び声を上げ、社会が過ちを正そうとしている姿勢には、信頼を再構築しようとする市民社会の力が表れています。
この放送は、「えん罪事件の報道」にとどまらず、テクノロジーの時代における人間の尊厳と責任の再確認という、より普遍的なテーマを内包しています。
山田記者の冷静で誠実な語り口によって、聴き手は怒りよりも「反省と再生」へと導かれます。
