「転勤族の妻でも私らしく」山口由香子(転勤族の妻のためのキャリアコミュニティ、きのこ代表) ラジオ深夜便 (NHK) を聞いて
2025年10月24日に放送された番組 ラジオ深夜便「転勤族の妻でも私らしく」山口由香子(転勤族の妻のためのキャリアコミュニティ、きのこ代表)を聞きました。

1.「転勤族の妻」という立場のリアル
まずいちばん強いのは、「転勤族の妻」というライフスタイルが、社会の中で可視化されていない問題そのものが語られていることです。
転勤があると、将来計画が立てにくい。
就職・再就職のたびにリセットされる。
子育ても一人になりがちで孤独。
そもそも、同じ境遇の人が身の回りにいないから、“分かってくれる人”すらいない。
山口さんは「悩みを共有できる相手がいなかった」と言っていますよね。
これは単なる寂しさではなくて、構造的に「制度の外」に置かれている層の孤立なんです。
2.「環境が変わることを前向きに捉えられるようになりました」という転換
彼女は、最初からポジティブではなかった。むしろ「キャリアに悩んで、孤独を抱えて子育て」という、かなりしんどい起点がある。
それが少しずつ変わっていくきっかけとして語られるのが、子どもが生まれて3か月くらい経ち、「少し余裕ができて、”私のやりたいことって何だろう”と考え始めた」こと。
実際に就職も探してみるなど、小さくても現実の行動を起こしたこと。
ここがすごく重要です。
多くの「自己啓発的な語り」は、「自分のやりたいことに気づいた!」→「生き方が一気に変わった!」というドラマ調にしがちですが、山口さんはそうじゃない。
行動がものすごく具体的で、小さいんです。
たとえば「考えた」「探した」という地味なプロセスがちゃんと残っている。
このリアルさは、聞いている側を傷つけない。
「あなたもすぐ前向きになりましょう」とは決して言っていない。
代わりに、「最初の一歩は、たとえば求人サイトを開くだけでも一歩なんだよ」という優しいメッセージになっている。
この”小さな行動の正当化”は、特に育児中・転勤中の女性にとって、とても力になる語り方です。
押しつけがましくない希望の形になっている、と評価できます。
3. コミュニティ「きのこ」の思想
「きのこ」の特徴としては、
オンラインでつながれる。
転勤族の妻という同じ課題を持つ人たちが集まっている。
好きなタイミングで出たり入ったりしていい(=常時参加を強制しない)。
発言しなくてもいい。聞いているだけでも学べる。
運営側が用意するイベントもあるし、メンバー主体の企画もある。
日々のチャットで悩みを投げると誰かが返す。
「21日間やるぞ」と皆で宣言して続ける伴走型の仕組みもある。
有志メンバーが集まってラジオ配信までやっている。
ここで見えてくるのは、「ちゃんとした正解を教える場」ではなく、「安心して弱音や未完成の思いを出せる場」だということです。
つまり「学校型」ではなく「居場所型」なのです。
このデザインはとても現代的で、しかもジェンダーやライフステージの現実によく合っている。
なぜかというと、転勤族の妻・幼い子どもを育てている母親は、そもそも予定を固定できないからです。
山口さんはそれをよくわかっていて、「入退室自由」「聞き専OK」「やりたい人がやることを『否定せずに応援する』だけ」という空気を明示している。
これは単なる優しさではなくて、ケアの設計の知性です。
ここに彼女のリーダーシップがはっきり出ています。

4. 「転勤妻サポートブック」という成果物
2024年に有志で「転勤妻サポートブック」を出している点も重要です。これは2つの意味を持ちます。
①知識の外部化
チャットやイベントの中だけで共有されていた “暗黙知”(どう乗り越えたか、どこで泣いたか、どうお金まわしたか、どう夫と話したか…)を、誰でも読める形に落とした。
これは、コミュニティの知恵を「文化資産」に変えたと言っていい。
②参加しづらい人も救う導線
「集団が苦手」「コミュニティってハードル高い」という人にも手が届くように、あえて本という形にした、と語っていますよね。
これは“仲間になれない人も孤立させない”という二重の包摂(インクルージョン)です。
そしてKindleで読めるようにした、と紹介しているのもすごく現代的です。
つまり地理的にどこに飛ばされても(海外、地方都市、単身帯同、駐在先など)アクセスできる。
これは転勤妻・帯同妻・海外駐在妻の現実に合っている設計で、思想と手段がちゃんと一致しているところが高く評価できます。
5.感想
山口さんの取り組みは、単に「転勤族の妻」だけの問題にとどまらず、「自分のキャリアと生き方をどう主体的に選ぶか?」という問いを、私たちすべてに投げかけています。
彼女の言葉には、「環境が変わる=リセット」ではなく、「環境が変わる=成長の契機」と捉える発想の転換があり、それは現代社会を生きる多くの人々に勇気を与えます。
また、「仲間がいることで、できることが広がる」「一人ではできないことも、つながればできる」という実感は、分断が深まる現代において、共に生きる力=レジリエンスの源泉となります。
本放送は、「境遇に縛られるのではなく、その中で自由を育てる」という人間の可能性を、山口さんの実例を通じて丁寧に描き出していました。
彼女の活動は、個人の内面から社会の構造にまで届く、静かで力強いムーブメントであり、「働くとは」「母であるとは」「つながるとは」といった本質的な問いを、やさしく、しかし深く投げかけるものでした。
