「文学は何の役に立つのか?」平野啓一郎(小説家) ラジオ番組「マイあさ!」著者からの手紙(NHK) を聞いて

2025年10月5日に放送されたラジオ番組 マイあさ! 著者からの手紙「文学は何の役に立つのか?」平野啓一郎(小説家)を聞きました。

1.「正気を保つための文学」——人間存在の闇と光を見つめる力
平野さんがまず語るのは、「文学は正気を保つために役立つ」という強い言葉です。
ドストエフスキーや大江健三郎のように、人間の「醜さ」「恐ろしさ」を直視する文学こそ、人間という存在の真実に触れさせ、世界をよりよくするための“倫理的想像力”を育てるという主張です。
ここで重要なのは、文学が「慰め」ではなく、「自己欺瞞を破る鏡」として機能するという視点です。
現代のSNSや即物的な思考が溢れる社会で、「見たくないものを敢えて見る」という行為の価値を、文学は守っているといえます。

2. 「コスパ・タイパ社会」への警鐘——文学が取り戻す“時間”と“深さ”
効率性を追う現代社会では、時間や感情までも“コスト化”されています。
平野さんは「fakeでも構わない」という風潮に抗して、「ゆっくり本を読むこと」こそが、情報の洪水から距離を取り、正気を保つ行為だと説きます。
文学は、速さではなく「遅さ」によって成立する芸術です。
その「遅さ」は無駄ではなく、人間が“感じ、考える時間”を取り戻す営みです。
ここには、AI時代の「考えの自動化」への批判も含まれています。

3. 「文学に救われた」——悩みを意味あるものに変える思考法
平野さん自身の体験として、「文学によって自分の悩みの価値を発見した」と語る部分は非常に感動的です。
文学とは、単に“問題を解決する”のではなく、“問題の意味を見出す”営みであるという洞察です。
ここで言う「思考の方法」とは、社会構造・個人・歴史の相互関係を問い直す力であり、「なぜ自分は苦しいのか?」を美しく考える力でもあります。
それはまさに、「根性論」とは対極にある、“知的で感性的な回復力”の源泉としての文学観です。

4. 「例外から普遍へ」——文学の主人公が“変人”である理由
文学の主人公はしばしば、社会の枠からはみ出した存在です。
平野さんは、「例外的な人物から出発して、普遍的な人間理解に至る」という文学の構造を称えています。
たとえばトルストイの『アンナ・カレーニナ』の不倫という主題においても、単なる倫理的善悪の問題を超え、「なぜ彼女はそうせざるを得なかったのか」という社会的・心理的背景を読むことが重要です。
文学は、“裁く”のではなく“理解する”ための道具であり、人間を赦す想像力を育てるものだとわかります。

5. 「現実と向き合う文学」——寓話ではなく、情報過多の時代に挑む
平野さんが最後に語る「寓話的手法ではなく、現実そのものを書かなければならない」という言葉は、現代文学に対する挑戦でもあります。
現代の情報社会は、かつての寓話的世界よりも複雑で膨大です。
文学は情報を削らず、そのままの“複雑さ”を引き受けるべきだという姿勢は、作家としての誠実さを感じさせます。
「情報を整理する」のではなく「情報の中でどう生きるか」を描くこと——これが現代文学の新しい使命として提示されています。

6. 感想
文学は正気を保つためにある」という視点は、社会的にも教育的にもきわめて重要です。
教育や文化政策の文脈で「読書の効用」を語る際の、新しい基準になり得ます。

ニュースやSNSに疲弊し、「世界を信じる力」が揺らぐ時代にこそ、文学は“静かな抵抗”として存在する。
それは、急がず、効率を求めず、ただ“人間であること”の意味を問い直す時間を与えてくれる。

また、「悩むことに価値がある」「例外的な人間が普遍性を開く」という思想は、現代の多様性社会にも深く通じます。
マイノリティや疎外された個人を通して、より広い人間理解に至る構造は、宗教的・哲学的な共感性にも通じています。

文学を読むとは、他者を理解するだけでなく、自分の中の“他者”と出会い直すことなのだと思います。
この放送は、「読むこと=生き直すこと」だという確信を、優しくも鋭く語りかけてくれました。