ドガ 《バレエの舞台稽古》 「世界の名画 印象派の至宝 オルセー美術館」を見て
ドガ 《バレエの舞台稽古》は、舞台稽古という一見何気ない瞬間を、手前と奥とでコントラスト豊かに描いています。

手前のくつろぐ踊り子たち(あくび、背中を掻く、靴紐を結ぶ)と、舞台監督の前で踊る緊張感あるグループの対比により、日常の「間(ま)」や「温度差」が生々しく感じられます。
このような観察眼は、ドガが膨大なデッサンと記憶・印象の積み重ねからアトリエで再構成していたことによるものです。
彼は自然主義的でありながら、構図においては非常に古典的・計算的で、「偶然を装った必然」を追求していたといえるでしょう。
ドガの踊り子たちは、現代のように“芸術家”としてのバレリーナではなく、「貧困層の少女たち」「男に買われる対象」として描かれています。
この現実は、第三共和政期のパリにおける社会構造と文化退廃を如実に映しており、娼婦的な要素が濃厚だった当時のバレリーナ像に対する冷徹なまなざしが存在します。
このことは、例えばドガが描く踊り子たちが「可愛らしい」のではなく、どこか疲れたような、あるいは無機質で無表情である点にも表れており、芸術的対象としてというより「社会の鏡」としての存在を強く感じさせます。
ドガ自身が富裕層の出身であり、同じくバレリーナを“商品”として見下す階層の一員だったという事実は、彼の視点の冷淡さにも通じています。
彼が踊り子の顔を意図的に醜く、無個性に描いたとすれば、それは彼女たちを「階級の記号」として処理していたともいえます。
興味深いのは、ドガが少女のパトロンになることなく、むしろ女性全般を避ける傾向にあったという点です。
にもかかわらず、彼は執拗にバレリーナを描き続けた。
そこには「性的関心」よりも、「身体の動き」「形態のリズム」「構図上の魅力」といった、美術的関心が主軸にあったと考えられます。

一見すると愛らしいバレリーナの絵が、実は「階級差」「性の搾取」「芸術と倫理の緊張関係」といった複雑な問題を内包しているという事実に、改めて驚かされます。
ドガは、現実を美化せず、時に冷酷な視線で描写することによって、当時の社会の本質を突いていたといえるでしょう。
また、印象派というカテゴリーにいながら、ドガが「その場で描くこと」を拒み、構成や描写を徹底的にコントロールした点は、モネらの即興的アプローチとは対照的で興味深いものです。
彼の作品には、舞台裏を暴くような鋭さ、社会に対する皮肉、芸術の本質に対する深い問いが込められていると感じます。
《バレエの舞台稽古》は、ただのバレリーナの風景画ではありません。
それは、近代パリの矛盾と偽善、芸術と社会の接点、そして画家自身の価値観までも映し出す、重層的な作品です。
美しい表層の奥に、暗い歴史と社会の影が潜んでいる。
そのことを見逃さずに鑑賞することが、真にドガの作品を味わう鍵だと感じます。