英雄たちの選択「よみがえれ大仏 重源 61歳からの挑戦」を見て
2024年5月31日に放送された 英雄たちの選択「よみがえれ大仏 重源 61歳からの挑戦」を見ました。

重源(ちょうげん)が大仏再建の活動を開始したのは、61歳という高齢でした。
鎌倉時代、当時の平均寿命をはるかに超えた年齢です。
このことから、彼が「老い」をただの衰退ではなく、新たな挑戦の出発点と見ていたことがうかがえます。
現代においても、人生100年時代と言われる中で、年齢を理由に夢や挑戦を諦めない姿勢は、非常に示唆的です。
東大寺は荘園を没収され、経済的に壊滅的状況にありました。
さらに、源平合戦、飢饉、朝廷の財政難と、再建には極めて不利な社会情勢が重なっていました。
それにもかかわらず重源は「ないからこそ始める」「人の心に頼る」方針を打ち出し、仏教の勧進を復興財源の手段として選びました。
宣伝用の一輪車に大仏の完成図を掲げ、全国を回るというアイディアは、現代でいう「モバイルPR」「クラウドファンディング」に近い手法です。
資金や物資の寄付を呼びかける中で、庶民の心を動かし、「皆でつくる大仏」という社会的連帯の象徴に大仏を昇華させたのです。
重源は単なる宗教者ではなく、建築・外交・マネジメントの全分野に精通していました。
サウナ(蒸し風呂)を用意して作業者の健康を守り、木材調達では地域の困窮農民の生活再建も並行して進めた。
労働者のモチベーションや地域社会の持続可能性にまで目を向けていた点が、彼の成功の鍵といえます。

建材の統一、構造の合理化によって建設期間を短縮し、耐震性や強度も向上させました。
これは中国で学んだ建築技術の成果でもあります。
まさに技術革新と現場管理の融合であり、文化財の建築という枠を超えた「工学的」挑戦でした。
仏像の内部には、寄進者の名前や庶民の願いが書かれた紙が収められていました。
この行為は「神聖な存在の内部に、民衆の心を宿らせる」という思想の具現であり、仏教の「一切衆生悉有仏性(すべての人に仏性がある)」という教えを空間的に可視化したとも言えます。
この番組を見てさらに心を打たれたのは、重源の「信仰と実務の融合」です。
彼は単に宗教的な理想を語る人ではなく、現実に立脚しながら人の心を動かす力を持ち、しかもそれを「しくみ」として運用する実行力がありました。
61歳という年齢から始めた壮大な復興計画は、「老いてもできると思えばできる」ということを私たちに教えてくれます。
また、庶民の力を信じたこと、民意を大仏に反映させたことは、今日の民主主義的価値観にも通じるものがあります。
重源は単なる再建の英雄ではなく、「参加する信仰」と「生きる意味」を人々に与えた希有な存在でした。