先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)  「足利義政 ダメ将軍 必死の逆転ホームラン」 を見て

2025年6月10日に放送された 先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)  「足利義政 ダメ将軍 必死の逆転ホームラン」を見ました。

この番組から、足利義政という人物の二面性──「無能な政治家」と「革新的な文化人」──が鮮やかに浮かび上がります。

足利義政は、「応仁の乱の原因を作った張本人」として、日本史の中でもネガティブに語られることが多い将軍です。

しかし,その「ダメさ」は、個人の資質だけでなく、室町幕府の構造的な脆弱性に起因しています。

将軍直属の兵力はごくわずかでしたし、守護大名が実質的な地方支配者として台頭していました。

幼くして将軍になったことで、権威も政治手腕も確立できなかった。

11年に及ぶ戦乱で京都は荒れ果て、幕府の統治力も大幅に低下した。

これらは、義政の能力だけではどうにもならなかった状況とも言えます。

一方で義政は、政治的敗者でありながらも、文化的には「逆転ホームラン」を放った存在です。

美的世界を体現する場として、慈照寺(銀閣寺)を構想し、政治的求心力の回復も狙った。

現代の和室の原型となる建築様式を確立し、美の普遍性の創出した。

生け花・茶の湯・おもてなし文化の原型を整備。これらは後に「わび・さび」の精神へとつながる。

義政は、自らの権威を「文化」に託すことで再構築しようとしたのです。

この番組の核心にあるのは、「文化的指導性=政治的影響力」であるという見方です。

義政は、すでにある伝統を守っただけでなく、新しい様式を創り出すことに成功しました。

芸術の水準を引き上げることで、政治的権威の代替物として機能させた。

まとめますと、義政は、結果として「日本文化の分水嶺」を作り上げた人物とも言えるのです。

義政は、政治的には無力であったかもしれません。

しかし彼の「失敗」は、思わぬかたちで日本文化の大転換を生み出しました。

戦乱という負の遺産の中で、美という普遍的価値を見出し、それを形にして残した。

その姿勢には、「破綻の中からこそ、新しい価値が芽生える」という真理が表れています。