ラジオ番組「生放送スペシャル 不登校・さて、どうしよう?」を聞いて(3)

2025年5月6日に放送されたラジオ番組 「生放送スペシャル 不登校・さて、どうしよう?」(放送局:NHK)を見ました。(その3)

⑧ 番組の中で、自傷行為について語られていた。

強い感情の波の中にいる人間の「心の内側」がこれ以上ないほど真実味を持って表現されています。

特に、「夜が明けるのが怖い」「八方塞がりで…人生やめた方が早いのかなと思っていた」という一節には、言葉にしがたい絶望と、その絶望を一人で抱えてきた時間の長さが滲み出ています。

「高いところに登ってみる」「刃物を肌に当ててみる」――その行動は一線を越える直前の緊張感をはらみつつ、最後に「親が悲しむと思ったから踏みとどまった」という言葉が、命をつなぐ“愛”の存在を強く印象づけます。

「親が悲しむっていうのが明確に頭の中によぎったので、踏みとどまることができた。」と言葉は、番組すべての中で最も心に深く刻まれた言葉です。

自傷行為を「死にたいから」ではなく「どうにかしたいから」と捉え直す視点が示されています。

これは、本人も、そして親も少し救われる見方です。

「否定しないこと」「過度に狼狽しないこと」「普段通りの対応をすること」というアドバイスは、冷静ながらも深く温かく、非常に実践的です。 

特に、「自傷行為だけにフォーカスしすぎないこと」「安心できる日常の環境を整えること」が大切だという提案は、支援とは“止めさせること”ではなく、“寄り添うこと”だということを教えてくれます。

「やっぱり子たちには苦しいという背景があるから、その苦しさを緩和していくんだっていう姿勢が大事」だと思います。

 

 

⑨ 情報収集に関して、通信制高校の合同説明会に参加し、「選択肢がある」「まだ道はある」と実感できたことが、どれほど大きな救いになったかが語られていました。

特に、「知れば知るほど、自分が安心して、ちょっと楽しみになってくるぐらいの感じだった」という言葉は印象的です。

これは“前向きな希望”が生まれる瞬間であり、「情報=力(安心と選択肢)」という大切な視点を教えてくれます。

また、この語りには、「親が元気になれば、子どもにもそれが伝わる」という、支援においてとても大事な原則も暗に含まれています。

 

⑩番組の中で、不登校や学習への苦手意識を抱えながらも、自分なりの形で学びと向き合ってきた経験が語られていました。

全体として、この文章は、勉強というものが「点数を取ること」や「効率よく覚えること」だけではないこと、むしろ「学ぶ意味をどう見つけるか」が重要であるということを、多角的に語っています。

そして、「遅れても、つまずいても、自分のタイミングで学べばいい」という静かな肯定が、一貫して流れています。

 

 

⑪ 番組の中で、子どもを信じることの大切さを語っている部分を集めてみました。

番組では、親や大人が本来知っているはずの「子どものよさ」「魅力」が、不安や焦りの中で見えなくなってしまったことへの反省が静かに語られています。

これには、多くの保護者が「私もそうだった」と感じるのではないでしょうか。

信じたいのに信じきれない、そんな自分に気づいて立ち止まることが、実は再び子どもを見つめ直す大切な第一歩になるのだと伝わってきます。

また、「学校=すべて」という思い込みから解放され、「世界にはもっと多様な居場所がある」という前向きな視点が提示されています。

この考え方は、不登校や学校での違和感を抱える子どもにとっても、そしてその親にとっても、大きな救いとなるものです。

「変わってる」と言われることが必ずしも否定的な評価ではなく、むしろ個性として活きる場があるということを教えてくれています。

 

⑫ 「いきたくないから行かないのではなく、“行きたいのに行けない”」という言葉が、強く胸に刺さります。

この一文には、不登校の子どもたちが直面している葛藤の本質があります。

外から見れば“サボっている”“甘えている”といった偏見にさらされがちな子どもたちが、実は「生きるために学校に行けない」という、ぎりぎりのところで踏みとどまっているという現実――それを見誤ってはならないという強い警鐘が鳴らされています。

不登校が、あたかも“問題”であるかのように扱われる社会の中で、「今はただ、自分の命と心を守っている時間なのだ」という認識を持つことの大切さが、深く、やさしく、そして真剣に訴えられています。