ラジオ番組「生放送スペシャル 不登校・さて、どうしよう?」を聞いて(1)

『不登校には40万通りの不登校があると言われるように、本当に様々なんです。

いろんな調査を見ても不登校のきっかけはさまざまです。

いろんな原因があって、そしてまたそもそも何が原因かよくわからないということもある。

まずはその実態、現実に寄り添って、しっかりと子供の声を、心の声をしっかりと聞くことが今日大事です。」

 

(先が見えないことが一番きついです)

①何が正解か分からない中でいろいろと対応するしかなく、常にこれでいいのか自問自答しています。

先が見えないことが一番きついです。

これどうですか?本当に私もそうだったんですよね。

これまでと違う事が急に起きているので、どうしたらいいのか先も見えないし、本当、混乱の中にいましたね。

 

 

②基本的に保護者さんはね、相談先求めていろいろ努力するわけですけれども、私もいろんな調査データとか見ていても、本当にこう何年間も混沌としたまま時間が過ぎるっていうこともたくさん見えてくるんですね。

本当はそう言った事も、まずは知識として持っていた方が、保護者さんも楽なのかなって思います。

むしろ混沌とした時間を結構続くのだってことが分かっているだけでも、少し保護者さんもね、気持ちも落ち着くのかなと。

もちろんお子さんも気持ちも落ち着くのかなというふうに思います。

 

③やっぱり不登校、学校に行きづらいということで、どうしても引きこもりとリンクさせがちです。

将来引きこもったらどうしようかなっていう、そういう不安があの親御さんからは語られることが多いですね。

多くの調査研究は、不登校なったお子さんたちも、大人になったら、例えば20歳の時点で働いたり、学生さんをしていたり、そんな風に社会参加していることを示しています。』

 

番組の中で、不登校や学校に行きづらい子どもを持つ保護者の不安や葛藤に寄り添いながら、少しでも安心できる視点を提供しようとする部分を集めてみました。

冒頭の「何が正解か分からない中で…」という言葉からは、混乱や不安の中で手探りで対応している保護者の心情がにじみ出ており、多くの人が「まさに自分のことだ」と感じるのではないでしょうか。

その後に続く、「混沌とした時間が続くこともある」「それを知っているだけでも少しは気持ちが落ち着くかもしれない」という言葉は、現実の厳しさを否定せずに受け止めつつ、それでも前向きな希望を見出そうとしている姿勢が印象的です。

また、不登校=将来の引きこもりという連想に対して、調査データをもとに「社会参加している人が多い」という事実を伝えている点も重要です。

根拠のある情報が、漠然とした不安を和らげる助けになるという考えに、強く同意します。

全体として、「今は見えないけれど、いつか光が見える」と伝えてくれており、やさしく力強いメッセージでした。

 

(家庭の重要性)

『①こじれてしまう事例も当然ながらあるんですけれども、どんな事例がこじれているかっていうと、やっぱり家庭の中の雰囲気が悪くなった事例がこじれやすいので、まずご家庭の中の雰囲気を良くしていたり、家族の会話が損なわれないようにしていくことが大事です。

学校のこととか考えがちですけれども、まずは家庭の中、身近なところというところなんです。

 

 

②私の場合、その原因がね、明確にいじめとかってことではなくて、あの朝起きられないところから起立性調節障害と自律神経失調症言われていた。

やっぱり私もスクールカウンセラーとか心療内科とか、一応一通り1回行きましたね。

ちょっと一瞬楽しい時間を過ごせたこともあったような気がするんですけど、根本解決ではない。

そこにお金を払う価値ってどこにあるんだろうっていうふうに思ってしまいました。

基本的にやっぱり人間不信みたいな感じが働いてるので、自分のことは誰もわかってくれないっていうことが前提になってしまうと。

うちは親が私に対しての理解がとても深くて、ある意味私はちょっと親に恵まれてしまっていたということが前提にありますけれど、それでもまあ、喧嘩したりとか、言い争いになったりとか、いろいろありました。

まあ、そんな中でも、なんとかなるよとか、大丈夫だよとかそういう根拠のない励まし、もちろん大人側に悪気があるわけではないし、一生懸命なんとか励まそうとして子どもに送る言葉だと思うんですけど、そういうものは残念ながら私の場合は全く響かなかったんですよね。

肯定も否定もされたくなかったし、今この現状をただ生きてるだけでいいんだよって、たぶん言って欲しかったと思うんです。

それをちょっと当時、私は言語化することができなかったんですけど、例えば本当に今何も生み出せていないんだというように自己否定にどんどん走ってしまうっていうのが、よくあることだと思うんです。

そんな自分でも、例えば、夜中にドライブ行ってみるとか、親とふたりだけのあの空間で雑談するというような、何も生み出してなくても、それでもぐうたらと過ごしていても生きていていいんだよということを示す言葉だけじゃない行動が、自分の価値をすごく引き戻してくれたなと思いました。

 

③いろいろね、傷つけたり、無理に行かせようとしてなんか逆に悪化させたりとか、その自分の行動を後悔したりとかいうのが何度も何度もあったんですよね。

でも、一旦離れて学校から離れてゆっくり休むことで、これまでとは違う息子の内面の良さとか、成長とかを逆にゆっくり見る時間にもなったかなと思ったんです。

離れたことで、これまでの評価の中にいたというか、誰かと比べたりとか、その部活がどうのとか、そういうのばっかり見ていたのが、家の中で本当に好きなことができるようになったりし、そこでその子どもの成長を見れるようになったので、それはよかったかなと感じていますね。

その期間にあの親子でハンバーガーを食べに行ったり、一緒に映画やビデオずっと見たりとか、そうやって過ごせる時間がすごく私にとってはすごく貴重でした。』

 

番組の中で、不登校の子どもを抱える家庭における苦悩、気づき、そして希望を率直に語った部分を集めてみました。

3つのパートそれぞれに、異なる視点と感情の深さが込められており、読者に大きな共感と気づきを与えるいます。

①の部分では、「学校」よりもまず「家庭の雰囲気」が重要だという指摘がなされています。

この視点は非常に本質的で、外部要因ばかりに目が向きがちなとき、もっとも身近な“安心の場”である家庭こそが、子どもにとっての土台になるということを改めて気づかせてくれます。

②の部分は、本人の語りとして非常にリアルで切実です。

「心療内科に行っても根本解決ではなかった」「励ましの言葉が響かなかった」といった告白は、支援する側が陥りやすい“正しさ”や“努力”の限界を示しており、とても大事な視点です。

特に、「ただ生きているだけでいいと言ってほしかった」「ぐうたらと過ごしていても生きていていいんだということを示す行動が価値を取り戻してくれた」という一節は深い意味を持ちます。

「ただ生きる」「ぐうたらと過ごしていても生きていていいんだ」ということの重要性を如実に示しています。

③の部分では、親としての葛藤と成長が語られます。

無理に学校へ戻そうとして失敗したこと、自分を責めたこと、そのうえで「離れてみて初めて見えることがあった」と振り返る姿は、多くの親にとっての救いになると思います。

特に、「評価の枠組みから離れて、ただ一緒に過ごす時間が宝物になった」という気づきには、深い癒しと希望が感じられます。

 

(父親とのチームワーク)

『①親の会の参加はやっぱり母親が多いんですけど、最近は以前に比べてあのお父さんの参加もでてくるようになってきたので、育児参加されてるお父さんも増えてるのかなという印象もあります。

 

 

②うちの主人もやっぱり仕事が忙しくて、子供と時間っていうのがなかなか取れなかったので。

もう主に私が子供と関わるという感じで。

私の考えに任せてくれていたので、同じ方向を向いていたかなと思うので、あの母親を支えるという意味では、ありがたかったかなと思います。

私は学校にどうやったら行けるんだろうと思って必死になっていたんですけど、夫はもともと学校にそんな無理して行かなくてもいいんじゃないかっていう立場でしたね。

夫としてはもっと冷静になろうよって思っていたみたいなんですけど、ちょっと私があまりにもこう感情的だったりはりつめたので、なかなか言い出せなかったみたい。

私がうつになってから自分もちゃんともっと関わらなきゃいけなかったって反省してくれて。

代わりに学校に行ってくれたり、やり取りをしてくれました。

昔、本当にもうお互いにピリピリで空気悪かったんですけど、今はもう自分が難しそうな時、夫に頼ったり、いろいろチームワークがとれるようになりました。

 

③やっぱり基本的に日々向き合ってくれたのは母で、父はどうしても仕事で海外に行くこととかも多かったです。

毎日一緒に過ごすということはなく、母と少し違う視点で学校がなくてもいいよって、そういう立場で父親がいてくれたんですよね。

まあ行かないんだったら一緒に映画見ようとか、一緒にアニメ見ようかとか、そんな感じで寄り添い寄り添ってくれていた。

なんか違う視点があったりとか、違う関係ができたりすると、少しは行き詰ったりすることが少なくなるのかもしれない。』

 

番組の中で、「父親のかかわり方」に焦点が当てられている部分を集めてみました。

①の部分では、父親の参加が増えているという変化がさりげなく語られていて、社会全体の育児意識の変化を感じさせます。

かつては“母親任せ”が当たり前だったが、今は“父親も関わる”のが当たり前になってきている。

この変化が支援の質や家族のチーム力に大きく影響することが伝わってきます。

②の部分は、母親視点から見た夫婦の変化と、家族内の葛藤と修復がリアルに描かれています。

「自分がうつになってから夫が変わった」「昔はピリピリしていたけれど、今はチームワークが取れるようになった」という流れには、多くの共感が集まるのではないでしょうか。

一方が感情的になったとき、もう一方が黙って支える──このようなバランスの変化が、危機を乗り越えていく過程の中で育まれたというのは、希望に満ちたメッセージです。

③の部分は子ども側から見た父親像で、これがとても印象的です。

日常的な関わりが少ない中でも、父親が「学校に行かなくてもいいよ」と言ってくれたこと、一緒にアニメや映画を見てくれたことが、心の支えになった──その事実が静かに語られています。

これは“関わる量”ではなく、“関わる質”の重要さを示しており、特に父親の立場で読んだとき、大きな気づきを与えてくれる内容です。