ちきゅうラジオ ギネス世界記録に認定されたユニークな記録「同姓同名の最大の集まり」を聞いて

ギネス世界記録に認定されたユニークな記録と、そこにいたるまでのストーリーを紹介する番組。

第1回は「同姓同名の最大の集まり」です。

 

 

「時は、2022年10月29日、場所は日本、東京都渋谷区、178人のタナカヒロカズさんが同じ会場に集まってね。

世界記録、同姓同名の最大の集まりを達成しました。

会場には、3歳のタナカヒロカズさん、百貨店勤務のタナカヒロカズさん、博士のタナカヒロカズさんなどなど、多種多様なタナカヒロカズさんが勢ぞろいしました。

挑戦したきっかけは、東京の会社員のタナカヒロカズさんが1994年のプロ野球のドラフト会議で、近鉄バッファローズから自分と同姓同名のタナカヒロカズ選手が1位指名されたことです。

 

 

で、その後に個人的にあの同姓同名の人を集めるっていうことを続けてきたそうです。

実際にギネス世界記録に挑戦し始めたのは2011年からで、2022年の世界記録達成は、3度目の挑戦だったんです。

実はタナカヒロカズさんは、世界記録を達成する前の二度の挑戦では、この漢字表記まで同姓同名で挑戦していたんですね。

自らハードル上げてしまったところはあったかと思います。

それで、発起人のタナカヒロカズさんは、読みが同じ、つまりカタカナでタナカヒロカズであればいいという方向に舵を切っていくことになります。

このタナカヒロカズさんは万全を期すために挑戦の2週間ほど前に新聞の紙面に広告を出すんです。

この新聞の紙面っていうのがまた面白いですね。

「タナカヒロカズ、10月29日、同姓同名よ、集え。

タナカヒロカズ、仲間が会いたがっている。東京渋谷に結集を。

タナカヒロカズ、世界一になりたくないか? 今なら間に合う。」というようなものでした。

 

そして、2022年10月29日に見事世界記録を達成したわけです。

中には一番遠く、ベトナムからこのために駆けつけたタナカヒロカズさんがいました。

 

ところが、喜びもつかの間、歓喜の日から98日が過ぎた2023年の2月4日に、セルビアの首都ベオグラードになんと256人のミーツァ・ノバノビッチさんが集って記録が塗り替えられてしまったんです。

 

 

それで、タナカヒロカズさんがこの新記録の達成を企画したセルビアの男性にコンタクトをして、日本とセルビアと共同で国際同姓同名連盟を立ち上げませんか、という提案したそうなんですね。

そして先方も快諾して、こうして世界の同姓同名運動団体と親睦を深めるNGO、国際同姓同名連盟が発足したそうなんです。」

 

この番組を聞いて、まず最初に惹きつけられるのは、「同姓同名が178人集まった」という事実です。

3歳の子どもから博士まで、同じ名前の人がずらりと並ぶ様子には、想像しただけで思わず笑みがこぼれます。

しかしその裏には、28年越しの情熱と地道な努力、そして3度目の挑戦という粘り強さがあったことが語られ、単なる面白記録ではない、深い人間ドラマが浮かび上がってきます。

 

とりわけ印象的なのは、「タナカヒロカズ、世界一になりたくないか?」という新聞広告のキャッチコピー。

ユーモラスであると同時に、人を動かす力を持っています。

遊び心と本気の情熱のバランスが絶妙で、まさに“人を巻き込む力”を持ったコピーです。

 

さらに、記録が破られたあとに悔しさで終わらず、むしろ新しい国際交流に発展させていく展開が素晴らしいです。

ふつうならライバル視して終わるかもしれないところを、「じゃあいっそ一緒にやろう」と発想を転換してNGOを立ち上げてしまう。

この前向きな柔軟さと行動力には、大きな感動と希望を感じます。

 

この物語は、「名前」という偶然の共通点が、人と人の心を結び、国境さえも越えてつながっていく可能性を見せてくれます。

笑いあり、涙あり、学びありのまさに“生きた物語”であり、日々の暮らしのなかで人とつながる意味を改めて考えさせられる内容です。